日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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461. 菅野 文夫 北からの中世(北方支配の変容|
奥州藤原氏
と国衙|内乱のなかで)|幕府政治と動乱(鎌倉幕府のもとで|動乱のなかで)|室町の秩序と戦国の争乱(国人と探題|戦乱と新時代の模索)
刊行年:1999/08
データ:『岩手県の歴史』 山川出版社
462. 菊池 紳一 本吉冠者と呼ばれた泰衡-衣河館に義経を襲撃し、自害させる|義経主従の最後は十人で-敵の武士も怖れた「弁慶の立ち往生」姿|
奥州藤原氏
滅びの過程-義経隠匿を攻め圧力を加える
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 義経の最期についての謎
463. 佐藤 健郎 みちのくの玄関口(仏教文化の開花-慧日寺と勝常寺|武者の世への胎動-
奥州藤原氏
の滅亡と関東武士団の下向|中世の動乱へ-戦国の覇者伊達氏と蘆名氏)
刊行年:2002/06
データ:『街道の日本史』 12 吉川弘文館 南奥羽の世界
464. 斉藤 利男 はじめに 平泉とは何か|北方王国の夢|一〇・一一世紀の北方世界-平泉前史|
奥州藤原氏
誕生|平泉開府と北方王国|仏教都市平泉と平泉仏教|「北方王国の都」平泉|未完の北方王国|あとがき
刊行年:2014/12
データ:『平泉-北方王国の夢』 講談社
465. 岡田 清一 奥州の権力者「藤原氏」-押領使・陸奥守などの権力と強い財政基盤|同族の意識ない
奥州藤原氏
と摂関家藤原氏-蔑視するも財力には勝てず|陸奥国と関係の深い藤原基成-姻せき関係を作りあげ公卿を輩出
刊行年:2005/01
データ:別冊歴史読本 30-1 新人物往来社 義経の最期についての謎
466. 緒形 隆司 陸奥・出羽の俘囚たち|清和源氏の系譜|前九年の役|後三年の役|
奥州藤原氏
初代・清衡|二代・基衡|源氏の凋落|三代・秀衡|四代・泰衡
刊行年:1993/06
データ:『源氏と奥州藤原四代の興亡』 光風社出版
467. 小山 彦逸 奈良時代の壺鐙と平安時代の馬-埋葬された糠部の馬|物々交換の対象にもなった塩-下北半島の製塩土器|県内の考古学事始め-砂子田盛喜山竪穴・最花貝塚|環濠(区画溝)を有する平安時代の集落-倉越(2)遺跡・赤平(3)遺跡|日本最北出土の常滑壺-
奥州藤原氏
の隆盛
刊行年:2005/11
データ:『図説上北・下北の歴史』 郷土出版社 古代
468. 竹内 理三 はじめに|東国の叛乱|前九年の役・後三年の役|武者の家|農村の変貌|荘園の経営|後三条天皇の新政|院政はじまる|東の源氏|西の平氏|完成する荘園体制|法皇と僧兵|保元の乱|平治の乱|平清盛と平氏政権|
奥州藤原氏
|孤立する平家|内乱から源平合戦へ
刊行年:1965/07
データ:『日本の歴史』 6 中央公論社
469. 鈴木 啓 古墳時代の保原地方(大和朝廷の進出|国造の設置〈国造の系譜と役割り|氏姓制度と部民〉)|律令制と保原地方(大化改新と国郡の設定|陸奥国の成立|信夫郡の郷と郡衙|条里制と農民|仏教の受容と発展)|陸奥の開拓と保原地方|
奥州藤原氏
と保原地方
刊行年:1987/02
データ:『保原町史』 1 保原町 福島の歴史と考古
470. 大石 直正 北の周縁、列島東北部の興起(日本国の東の境界|外が浜と
奥州藤原氏
〈柳之御所遺跡の発見|北奥の日本国への編入|北からの衝撃〉|奥州十三湊日之本将軍〈十三、四世紀のエゾ反乱|北辺の港町、十三湊|十三湊=日之本将軍体制|日之本地域〉|日之本地域の解体〈勝山館の落日|松浦藩の成立〉)
刊行年:2001/12
データ:『日本の歴史』 14 講談社
471. 瀬川 拓郎 はじめに-伝統と変容のアイヌ史|DNAと言語からみたアイヌの起源-近年の研究から|縄文の祭りからクマ祭りへ-アイヌと縄文伝統|阿倍比羅夫はだれと戦ったか-混乱する北の民族的世界と王権|アイヌ文化の日本語・マタギ文化のアイヌ語-古代交流の残影|オホーツク人になろうとしたアイヌ-還オホーツク世界と植民|黄金国家とアイヌ-
奥州藤原氏
の金と北海道|謎の「宝の羽」を追って-北の先住民交易|アイヌモシリ一万年の景観史-文化の変容を読む
刊行年:2011/03
データ:『アイヌの世界』 講談社
472. 齊籐 保子 初期の武士団(武士団|国衙軍制|滝口の武士|押領使・追捕使|鎮守府将軍|家の子|郎党|所従・下人|名簿|承平天慶の乱|前九年・後三年の役|
奥州藤原氏
|奥六郡|平泉|白河関|衣川柵|厨川柵|沼柵|鳥海柵|桓武平氏|清和源氏|河内源氏|党|武蔵七党|武家の棟梁|平将門|藤原純友|平忠常|小野好古|源満仲|源頼義|源義家|源頼信|藤原秀郷|平貞盛|安倍頼時|清原武則|兵の道)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 荘園・公領と武士
473. 大森 金五郎
奥州藤原氏
三代の事業及び其文化(安倍氏の事蹟|清原氏の事蹟|藤原氏の事蹟)|平氏の興亡と其事業(平氏の事蹟に関する資料|平氏の世系と伊勢平氏の由来|清盛の栄達及び其事業|平氏の衰運及び同氏に対する反抗運動|平氏の覆滅)|源平両氏の交戦(源頼朝挙兵の意義|第一期の交戦|第二期の交戦|第三期の交戦)|源頼朝の奥羽征伐(奥羽征伐の名義|藤原秀衡と義経との関係(義経の末路)|頼朝の出征及び地理上の考察|平定後の処分)|鬼界ヶ島の征服|朝鮮征伐の伝説
刊行年:1929/03
データ:『武家時代之研究』 2 冨山房 源平時代(二) 安藤系図
474. 古内 龍夫 中世への序幕(
奥州藤原氏
の滅亡|大河兼任の乱|鎌倉御家人の秋田入部|北奥の政治と社会)|胎動する北奥羽の世界(秋田安東氏の成立|南北朝期の社会と宗教|十三湊と蝦夷ヵ島)|安東氏の覇権を追う(政季と檜山城|檜山安東氏の軌跡|中央に向かう安東氏)|元亀・天正の戦い(群雄の叢生|湊・檜山合戦|實季上洛・安堵)|近世的秩序への移行(知行制度と年貢負担|人の交流と物の流通|秋田領内の財政経済)|戦国社会の終章(徳川社会への転換|實季の系図作成|秋田家の寺院)|安東家系統図
刊行年:2008/11
データ:『能代市史』 通史編Ⅰ 能代市 中世社会の展開
475. 森田 恭二 原始時代のくらしの文化(縄文時代の生活文化|弥生時代の生活文化|『魏志倭人伝』に見る生活文化|吉野ケ里遺跡に見る生活文化|古墳時代の生活文化)|古代のくらしの文化(長屋王の生活文化|平安貴族の生活文化|
奥州藤原氏
と平泉文化)|鎌倉・室町期のくらしの文化(草戸千軒遺跡に見る生活文化|東山文化-足利義政の生活文化|三条西実隆の生活文化)|戦国期のくらしの文化(一乗谷遺跡に見る生活文化|茶の湯の生活文化|『天文日記』に見る寺内町大坂の生活文化)|古代・中世の服飾文化(古代の服飾文化|中世・近世の服飾文化)
刊行年:1996/04
データ:『古代・中世くらしの文化 日本生活文化史』 和泉書院
476. 東北歴史資料館|宮城県多賀城跡調査研究所編 多賀城跡の現状|多賀城の研究と保護|多賀城跡の発掘調査|発掘調査の方法|陸奥国府の政庁|門と大垣|城内の官庁街|多賀城跡の変遷|多賀城時代|古代の帝都|地方の官庁|陸奥国の成立|多賀城の建設|造営に従事した人々|瓦の製作と運搬|勤務した役人達|兵士たちのくらし|官立の寺院多賀城廃寺|呰麻呂の乱と東北の動乱|東北地方の古代城柵|東北の城と西国の城|東北地方の古瓦|古代の土器|文字の普及-墨書土器の分布|
奥州藤原氏
と多賀国府|中世の多賀国府|おくのほそ道と多賀城碑|多賀城碑の謎|多賀城跡と東北歴史資料館
刊行年:1975/03
データ:『多賀城と古代日本-埋もれた史跡をたずねて-』 宝文堂
477. 百瀬 明治 治承四年~寿永元年(一一八〇~一一八二)蜂起する各地の源氏|寿永二年~文治元年(一一八三~一一八五)平氏、西海に滅ぶ|文治二年~建久元年(一一八六~一一九〇)
奥州藤原氏
の滅亡|建久二年~建久五年(一一九一~一一九四)鎌倉幕府の確立|建久六年~正治二年(一一九五~一二〇〇)建久七年の政変と頼朝の死|建仁元年~元久二年(一二〇一~一二〇五)将軍家をめぐる暗闘|建永元年~建暦二年(一二〇六~一二一二)広まる念仏宗|建保元年~承久二年(一二一三~一二二〇)源氏の正系断絶|承久三年~嘉禄元年(一二二二~一二二五)承久の乱とその余波|嘉禄二年~寛喜三年(一二二六~一二三一)闘う僧徒たち|貞永元年~仁治元年(一二三二~一二四〇)道元と禅の興隆|仁治二年~宝治二年(一二四一~一二四八)名執権の死と鎌倉の動揺|建長元年~文応元年(一二四九~一二六〇)摂家将軍から親王将軍へ|弘長元年~文永九年(一二六一~一二七二)日蓮の苦闘と他国侵逼難|文永十年~建治三年(一二七三~一二七七)蒙古軍大挙来襲す|弘安元年~弘安七年(一二七八~一二八四)国難ふたたび-弘安の役|弘安八年~永仁元年(一二八五~一二九三)霜月騒動と恐怖政治|永仁二年~正安二年(一二九四~一三〇〇)窮乏する御家人|正安三年~延慶三年(一三〇一~一三一〇)得宗専制体制のもとで|応長元年~元応二年(一三一一~一三二〇)文保の和談と後醍醐天皇|元亨元年~元徳元年(一三二一~一三二九)後醍醐親政と正中の変|元徳二年~正慶元年 元弘二年(一三三〇~一三三二)主上御謀反-元弘の乱|正慶二年 元弘三年~建武二年(一三三三~一三三五)公武一統-建武の新政|建武三年 延元元年~暦応二年 延元四年(一三三六~一三三九)南北朝時代の幕開け|暦応三年 興国元年~康永三年 興国五年(一三四〇~一三四四)豪壮・華麗-婆娑羅の時代|貞和四年 興国六年~貞和四年 正平三年(一三四五~一三四八)炎上する吉野行宮|貞和五年 正平四年~文和元年 正平七年(一三四九~一三五二)二つに割れた幕府|文和二年 正平八年~延文二年 正平一二年(一三五三~一三五七)京都をめぐる攻防|延文三年 正平一三年~貞治三年 正平一九年(一三五八~一三六四)尊氏の死と南朝の残映|貞治四年 正平二〇年~応安元年 正平二三年(一三六五~一三六八)幼将軍と名執事|応安二年 正平二四年~康暦元年 天授五年(一三六九~一三七九)康暦の政変-名執事去る|康暦二年 天授六年~至徳元年 元中元年(一三八〇~一三八四)花の御所と相国寺|至徳二年 元中二年~応永四年(一三八五~一三九七)南北朝合一への道|応永五年~応永一二年(一三九八~一四〇五)応永の乱と勘合貿易|応永一三年~応永一七年(一四〇六~一四一〇)野望目前〝日本国王〟の死|応永一八年~応永二四年(一四一一~一四一七)関東の争乱と鎌倉公方|応永二五年~応永三二年(一四一八~一四二五)泰平謳歌-芸能の興隆|応永三三年~永享三年(一四二六~一四三一)蜂起する土一揆の嵐|永享四年~永享一一年(一四三二~一四三九)足利氏内訌-永享の乱|永享一二年~文安五年(一四四〇~一四四八)恐怖政治のツケ-将軍暗殺|宝徳元年~寛正二年(一四四九~一四六一)満城の紅緑誰がために肥ゆる|寛正三年~応仁元年(一四六二~一四六七)天下大乱の前夜
刊行年:1982/01
データ:『読める年表』 3 自由国民社