日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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7421. 伊佐治 康成 持統女帝はなぜ三一回も吉野に行幸したか|大津皇子に謀反計画はあったか|平城京の遷都はなぜ必要だったのか|古事記・日本書紀はどうちがうのか|氷高内親王はなぜ即位できたのか|長屋王はなぜ「大夫人」尊称奉呈に反対したか|光明皇后の狙いは何か|聖武天皇はなぜ五年間も放浪したか|遣唐使は国書をもっていったか|遣唐使・大伴古麻呂の事件はなかったか|安積親王は暗殺されたのか|舎人親王はなぜ鑑真を招いたのか|正倉院宝物はなぜ献納されたか|藤原
氏
はなぜ宮廷を支配し得たのか|称徳女帝は道鏡を天皇にするつもりだったか
刊行年:1998/09
データ:『古代天皇101の謎』 新人物往来社 女帝の世紀をめぐる謎
7422. 阿部 猛 摂関時代の評価|道長政権への道程[藤原
氏
の台頭|意見十二箇条|反乱と政変|花山朝|道長登場]|道長政権の全盛[望月の歌|土御門邸と法成寺|道長の死と頼通の時代]|摂関政治-政務の実態[公卿による政治|諸国申請雑事|摂関政権の経済的基盤|摂関期の荘園整理]|受領[就職運動|任命と赴任|国司交替|因幡守平時範の場合|清胤王書状]|尾張国解文-地方政治の実情[解文の内容|国司苛政上訴事件範の場合]|おわりに-時代の転換[平安京の変貌|武士の台頭]|研究の手引[王朝国家論|収取体系|名の研究|転換期としての10世紀]|参考文献
刊行年:1977/10
データ:『摂関政治』 教育社
7423. 奥富 敬之 源平時代(石橋山で敗れた源頼朝の麾下に参集した東国武士|平
氏
を恐れて高麗まで逃げた源親光|腹を切る郎等を前に、なお女に未練を残した木曽義仲|義経に〝八艘飛び〟させた平教経は壇ノ浦にはいなかった|郎等たちの甲冑を売り払って兵粮代を捻出した東国武士|海戦が不得手ではなかった東国武士|とかく他人の顔かたちについて悪口雑言を吐いた源頼朝|なりは小さくても、顔が大きかった鎌倉武士|子孫十代にまで頼朝の〝咎なし〟のお墨つきを賜った天野遠景|生活に困っていた木曽義仲の妹菊姫に所領を与えた源頼朝|頼朝にすぐに着せるため甲冑を逆に着ていた佐々木高綱)
刊行年:1986/05
データ:歴史読本 31-9 新人物往来社
7424. 大森 金五郎 緒論|平将門乱の研究(平将門事蹟考|将門記考証|平将門の本貫と偽宮|平将門の偽宮に就いて)|房総の平
氏
及び相馬御厨に関する古文書について(平繁盛、貞盛、忠頼等に関するもの|相馬御厨に関するもの)|平忠常乱の研究(平忠常乱の顛末|平忠常乱の資料|編年残篇に就いて)|前九年及び後三年役の評論(前九年の役|後三年の役|源義家の事蹟)|源平両
氏
勢力の消張|保元の乱について|源平両
氏
の分布と其相互間に於ける嚮背|福原遷都の研究(福原遷都考|福原遷都に関する資料)
刊行年:1923/01
データ:『武家時代之研究』 1 冨山房 源平時代 論集 平将門研究
7425. 平郡 さやか 藤原北家の躍進(阿衡事件|菅原道真失脚|延喜の国政改革|意見十二箇条|延喜・天暦の治|安和の変|延喜の奴婢解放令|革命勘文|譲国・譲位|践祚・即位|立后|立太子|里内裏|摂政・関白|内覧|
氏
長者|朱器台盤|殿下渡寮|三代御記|菅家伝|寛平御遺誡|吏部王記|九暦|藤原時平|管原道真|藤原佐世|藤原師輔|藤原基経|冷泉天皇|宇多天皇|花山天皇|醍醐天皇|朱雀天皇|村上天皇|円融天皇|一条天皇|後一条天皇|後朱雀天皇|後冷泉天皇|菅原文時|斉世親王)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 摂関政治
7426. 八木 光則 古代概観-蝦夷の時代|蝦夷成立前夜-四~六世紀にかけて|末期古墳の出現-蝦夷の墓|開かれた社会-蝦夷の交流・交易|律令機構のなかへ-最大級の規模をもった志波城|拡大政策の転換-徳丹城への移転|蝦夷の集落-竪穴住居と掘立柱建物|鉄器を求める人々-鍛冶と鉄|馬と生業-副葬された馬具|安倍
氏
の奥六郡掌握-厨川を本拠とした安倍貞任|北の集落-山頂と尾根に暮らした人びと|謎を秘める仏教遺跡-古代末期から中世初期にかけて|居館に見る中世の始まり-紫波町比爪館跡∥謎の「奥州五十四郡」-解決されない問題
刊行年:2004/06
データ:『図説盛岡・岩手・紫波の歴史』 郷土出版社 古代∥コラム
7427. 森田 恭二 原始時代のくらしの文化(縄文時代の生活文化|弥生時代の生活文化|『魏志倭人伝』に見る生活文化|吉野ケ里遺跡に見る生活文化|古墳時代の生活文化)|古代のくらしの文化(長屋王の生活文化|平安貴族の生活文化|奥州藤原
氏
と平泉文化)|鎌倉・室町期のくらしの文化(草戸千軒遺跡に見る生活文化|東山文化-足利義政の生活文化|三条西実隆の生活文化)|戦国期のくらしの文化(一乗谷遺跡に見る生活文化|茶の湯の生活文化|『天文日記』に見る寺内町大坂の生活文化)|古代・中世の服飾文化(古代の服飾文化|中世・近世の服飾文化)
刊行年:1996/04
データ:『古代・中世くらしの文化 日本生活文化史』 和泉書院
7428. 松尾 光 飛鳥文化|出雲国計会帳|衣服令|入部(いるべ)|磐井の乱|
氏
|右大臣|大臣(おおおみ)|大王|郡稲|計会帳|計帳|正税帳|出挙|租|大計帳|人質|雛|捻文|昼御座|肥君猪手|日野切|美福門|美福門院|日振島|秘府略|百万塔陀羅尼|百錬抄|捕亡律|捕亡令|舞人|摩訶止観|牧|蒔絵|幕|孫廂|廻佃|幔|万灯会|政所下文|万年通宝|満濃池|万葉仮名|御薪|三河国|御教書|御厨|巫女|御修法(みしほ)|御厨子所|美豆羅|未選|屯田(みた)
刊行年:1991/11
データ:『古代史用語事典』 新人物往来社
7429. 松本 公一 淡海公伝|公家伝文|儒伝|藤原南家
氏
人口伝|清岡家伝|日本名僧伝|石川年足伝|吉備大臣伝|廉記|信大臣伝|清公卿伝|忠貞王伝|広相卿伝|右兵衛督敏行伝|延暦僧録|真如親王伝|頭親王入唐略記|護明(命)僧正伝|音石山大僧都伝|静観僧正伝|増利僧都伝|尊意贈僧正伝|大僧都禅喜伝|慈慧(恵)大僧正伝|性空伝|池上阿闍梨伝|大御室御伝|神仙記|亀兆伝
刊行年:1995/02
データ:『新訂増補国書逸文』 国書刊行会 人々伝
7430. 野村 忠夫 大宝律令体制(大宝律令の成立-律令制古代での大宝律令の位置|大宝令体制-議政官構成と「参議」・知太政官事|慶雲期の様相-農民の飢疫と政策)|和銅元年体制(和銅元年体制の成立-和銅元年体制とはなにか|首皇子の立太子と藤原
氏
-不比等政権確立への道)|不比等政権(律令制支配の貫徹と行基-不比等政権の政策)|長屋王首班体制から藤四子体制へ(知太政官事、内臣、右大臣-律令国家権力のメカニズム|災異説・土地政策の展開-長屋王首班体制の政策|藤四子体制の問題-藤四子体制の性格とその挫折)|あとがき
刊行年:1968/04
データ:『律令政治の諸様相』 塙書房
7431. 仁藤 敦史 はじめに|奈良時代史の枠組みへの疑問-女帝は中継ぎか(藤原
氏
陰謀史観と皇位継承への収斂|通説へのさまざまな疑問)|「臨朝称制」-女帝出現の前提(大后は嫡妻か-推古女帝即位の背景|大后の国政参与と女帝即位)|「ミオヤ」と「ワガコ」-皇統譜上の女帝(女帝と「不改常典」法|女帝と皇統譜|奈良時代の女帝)|「政の要は軍事なり」-対外戦争の敗北と軍国体制の整備(白村江の敗北|奈良時代の内政と外交)|「長屋王、国家を傾けんと欲す」-内乱の勝利と功臣の処遇問題(壬申の乱体制|「長屋王家」の家産と家政機関)|「藤原夫人を皇后と定め賜う」-転換期としての聖武朝(聖武天皇と長屋王|ポスト壬申の乱体制)
刊行年:2006/03
データ:『女帝の世紀-皇位継承と政争』 角川書店
7432. 丹羽野 裕│野々村 安浩│平石 充│松尾 充晶│仁木 聡│稲田 陽介│吉松 大志│堀川 徹│椿 真治│森田 喜久男 出雲郡の解説│出雲郡の総記│出雲郡の郷│出雲郡の寺院│出雲郡の神社│出雲郡の山野│出雲郡の河川・池│出雲郡の海岸地形│出雲郡の通道│出雲郡の郡司│解説(出雲郡家と遺跡│健部郷と神門臣古禰・神門
氏
、軍原古墳・神庭岩船山遺跡│漆部と漆治郷│美談郷正倉と大寺古墳、青木遺跡│黄泉の坂、黄泉の穴│出雲神戸郷│『風土記』の同名社│曽伎乃夜社と伎比佐加美高日子│奈良時代の出雲大社│新造院と天寺平廃寺│出雲大川│宇礼保浦・浦と浜│等々島│薗松山)
刊行年:2014/03
データ:『解説 出雲国風土記』 今井出版 出雲郡
7433. 高橋 暁樹 奥羽の山波を越えた人々(一)狄夷、和我君計安塁と清原一族、そして西行法師の跡をたどる (二)狩猟民・マタギたち、マタギ村の生いたち、そしてブナ林の深層文化を見る|奥羽の山波を越えた人々 三-颪江、柏峠越した切支丹伝導アンジュリス、寿庵らの布教を視る|同(四)鉱山を求めて移動した山の民(杣人)-そして金元、山元の経営を視る|同(五)縄文時代の産業、焼畑農耕文化、その伝播の跡をさぐる|同(六)明永・明保長者伝承と平泉藤原
氏
の跡を探る
刊行年:1989/06-1992/05
データ:北方風土 18~20||22|24 秋田文化出版社∥イズミ印刷出版
7434. 須田 春子 飛鳥文化(蘇我
氏
の仏教と渡来
氏
族に関する伝承-特にその女性の果した役割|聖徳太子の仏教と女性)|律令制下の女性(後宮宮人制度の成立|後宮十二司とその機能|命婦・女儒・采女|斎王と斎宮司|女楽教習所内教坊|律と女性)|天平文化と宮廷女性(天平貴族の和漢の教養|宮廷肆宴会の年中行事化|元正太上天皇と万葉時代|水主内親王とその所蔵経|天平後宮の唐仏教受容)|尼寺・尼僧とその教学(尼寺とその教学|尼僧とその活動|在家女性の仏教)|奈良時代末期の女性(高野天皇|天皇と仏教|優婆夷考)
刊行年:1978/05
データ:『律令制女性史研究』 千代田書房 藤原夫人|北大家写経所|普光寺|県犬養広刀自|生江臣家道女と母大田女
7435. 中目 誠 郷土の史観にふれて|農業開発の夜明け(胆沢扇状地の先住者たち|農業は清水下遺跡周辺から始まる|朝廷の日高見国への侵攻|太母鬼部族の足跡|朝廷軍胆沢を攻める|農業開発を急ぐ蝦夷地|胆沢連合軍の活躍|陸奥国の人事往来)|胆沢城築城後の経営(ヤマト朝廷支配下の胆沢|鎮守府胆沢城の形成|本格的胆沢開発への取り組み|蝦夷地開発に室の神・つるき神勧請|城柵内に保護し開墾|北の種族|蘇民まつりによる祈願|神仏加護による開拓|胆沢への仏教普及|郡司安倍
氏
と胆沢地方|古代の牧場経営と馬神|執筆を終えて)
刊行年:1997/12
データ:『古代における胆沢開発史考』 胆沢町史刊行会 内題に別集「古代における胆沢開発史考」と有。胆沢町史別集の意か
7436. 中路 正恒 東北-多孔質の身体|蝦夷の三輪山(一)五八一年?(敏達十年)・辺境-蝦夷の魁帥綾糟|蝦夷の三輪山(二)五八一年?(敏達十年)・三輪山麓泊瀬川-綾糟の誓い|綾糟の連合国・国造・毛野王 四-八世紀 東国・陸奥-北へ走る〈ヤマト〉(一)|阿倍
氏
と陸奥 四-七世紀 東国・常陸・陸奥-北へ走る〈ヤマト〉(二)|崇神期からヤマトタケルまで 四世紀 東国・常陸・陸奥-北へ走る〈ヤマト〉(3)|景行から阿倍比羅夫まで 四-七世紀 陸奥・越・渡嶋-北へ走る〈ヤマト〉(四)|多賀柵構築からアザマロの乱まで 八世紀中葉-多賀・雄勝・桃生・伊治|アテルイと田村麻呂 延暦二十一年(八〇一)まで-胆沢へ
刊行年:2001/06
データ:『古代東北と王権 「日本書紀」の語る蝦夷』 講談社
7437. 東北歴史資料館|宮城県多賀城跡調査研究所編 多賀城跡の現状|多賀城の研究と保護|多賀城跡の発掘調査|発掘調査の方法|陸奥国府の政庁|門と大垣|城内の官庁街|多賀城跡の変遷|多賀城時代|古代の帝都|地方の官庁|陸奥国の成立|多賀城の建設|造営に従事した人々|瓦の製作と運搬|勤務した役人達|兵士たちのくらし|官立の寺院多賀城廃寺|呰麻呂の乱と東北の動乱|東北地方の古代城柵|東北の城と西国の城|東北地方の古瓦|古代の土器|文字の普及-墨書土器の分布|奥州藤原
氏
と多賀国府|中世の多賀国府|おくのほそ道と多賀城碑|多賀城碑の謎|多賀城跡と東北歴史資料館
刊行年:1975/03
データ:『多賀城と古代日本-埋もれた史跡をたずねて-』 宝文堂
7438. 角田 文衞 日本の後宮の特色|後宮の形成(大和時代の後宮|近江・浄御原朝の後宮|内裏の成立)|平城宮の後宮(後宮の制度|政争の坩堝|平城宮の官女たち)|平安の春(平安宮の内裏|内廷の動向|藤原
氏
と後宮|文芸の蕾)|後宮の変貌(后と女御|天暦の内廷|後宮十二司の解体|官女制の再編成|後宮文芸の開花)|後宮の栄耀(清涼殿の春[皇后定子の周辺]|望月の歌[道長と後宮]|二代の宮廷|四条后)|後宮の残映(後宮秩序の動揺|待賢門院|動乱の都|官女の世界)|後宮の行方|附録(斎院表|斎宮表|女院表|歴代后妃表|歴代主要官女表|参考文献)|あとがき
刊行年:1973/05
データ:『日本の後宮』 学燈社 附録は『日本の後宮 餘録』として別刷有(奥付無)
7439. 利光 三津夫 まえがき|日本政治史の意義|上代(国家成立以前|
氏
族国家の起源|
氏
族国家の政治方式|
氏
族国家の統合|統合の進展|倭の五王|五世紀大和政権の政治組織|内廷と外廷|地方の反抗|推古朝の政治)|中古(一)(大化改新|日唐戦争|壬申の乱|天武持統朝の政治|律令政治|藤原
氏
の台頭|諸兄から道鏡政権へ|民衆の動静)|中古(二)(親政時代|前期摂関時代|摂関中停時代|後期摂関政治(その成立期)|後期摂関政治(盛行期)|前期院政時代|農民の動静)
刊行年:1977/10
データ:『日本古代政治史』 慶應通信
7440. 和歌森 太郎 国民感情の中の義経(義経の人気|義経の人柄|判官びいき|判官びいきへの社会史的条件)|義経の登場(頼朝との生育のちがい|頼朝との貫禄ちがい|義経の容姿風貌|鞍馬時代の社会情勢|奥州下りまでの陸奥の情勢|物語に描かれた奥州下り|『日本史の人物』中の義経)|源
氏
再興の機会(後白河院と平家の抗争|源
氏
の旗あげ)|平家討滅と義経(平家の衰勢と東国|頼朝・義経の疎隔|平家を滅ぼす)|義経の失脚(平家滅亡後の頼朝|義経の謀反)|義経の没落(行くえ不明になる)
刊行年:1966/10
データ:『義経と日本人』 講談社