日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
検索式
検索
クリア
表示件数
10
20
30
50
100
ソート
執筆者 (昇順)
執筆者 (降順)
刊行年 (古い順)
刊行年 (新しい順)
検索結果
965件中[941-960]
840
860
880
900
920
940
960
941. 堀江 知彦
法隆寺
献物帳|成唯識論 巻六・後序(天平十二年)|首楞厳経 山部諸公写(天平勝宝九年)|吉備由利発願大盧遮那成仏神変加持経巻第一(天平神護二年)|称徳天皇勅旨一切経(神護景雲二年)|薬師寺大般若経|伝中将姫 称讃浄土経|聖武天皇 雑集|聖武天皇 平田寺勅書|東大寺献物帳<三種>
刊行年:1956/02
データ:『定本書道全集』 8 河出書房
942. 鈴木 嘉吉 上代寺院建築の特色|飛鳥の寺々|飛鳥寺と川原寺|
法隆寺
|藤原京から平城京へ|薬師寺と天平前期の建築|唐招提寺と天平後期の建築|寺院建築の日本化|室生寺と醍醐寺|鳳凰堂と金色堂|中世本堂の誕生∥塔・仏殿の各部の名称|上代寺院建築遺構一覧|上代寺院建築鑑賞の手引き
刊行年:1971/10
データ:『日本の美術』 65 至文堂
943. 田中 嗣人 太子伝の整理(問題の所在|『聖徳太子伝暦』以前の諸太子伝)|『日本書紀』の太子記事|太子信仰の推移(問題の所在|『日本書紀』成立以前の太子信仰|奈良時代の太子信仰|平安時代の太子信仰)|太子信仰発生の究明(大化前代の皇位継承|推古朝の歴史的意義|
法隆寺
の造営)|世間虚仮、唯仏是真-結びにかえて
刊行年:1983/12
データ:『聖徳太子信仰の成立』 吉川弘文館 七代記
944. 北村 文治
法隆寺
と山田寺の〝悲劇〟の謎-二つの〝悲劇〟の背後には何があったのか|大化改新をめぐる謎-肯定論・否定論を理解する鍵は何か|難波宮と対唐外交の謎-孝徳天皇に「豊碕宮」造営を促した対外的事情とは何であったのか|藤原鎌足をめぐる謎-その虚像と実像を『日本書紀』と『家伝』から推理するとどうなるか
刊行年:1985/04
データ:『日本古代史と遺跡の謎・総解説』 自由国民社 大化改新前後∥1~7版
945. 澤田 吾一 巻末付録 古今人寿の比較|古代の民性|真南北線の天測法(周髀算経)|税帳に於て中間表示の不統一|大倭摂津の税帳|和泉監正倉の計算|衛士、仕丁、防人|中央政府の実収入|訴訟、覆審、上奏等(聖旨優渥)|雑件(上代に於ける西海道山陰道の特殊性|
法隆寺
の銅斗|朝鮮平壤出土器|巻首写真版の説明)
刊行年:1927/09
データ:『奈良朝時代民政経済の数的研究 附・諸国人口・斗量・衣食住』 冨山房 復刻版:柏書房,1972/08
946. 櫻井 敏雄 飛鳥・奈良時代の寺院(飛鳥時代の建築と渡来文化|朝鮮三国における仏教と寺院-仏教伝来の道|飛鳥時代の仏教建築-大陸建築様式の伝来|飛鳥・白鳳時代の建築様式-
法隆寺
西院の様式|奈良時代の仏教建築-南都六宗寺院の伽藍と天平様式|南都および周辺の古寺)|平安時代の寺院(南都寺院の造営活動と大和の寺院建築の新傾向)
刊行年:1998/12
データ:『奈良県史』 8 名著出版
947. 梅原 猛|杉山 二郎|田辺 昭三 序論|渡来者の定着|古代氏族の系譜|蘇我氏を中心に|中臣氏-その出自|六韜三略-入鹿打倒|改新政治をめぐって|白村江始末記|定慧変死|鎌足像と大織冠の謎|壬申の乱余聞|藤原宮|不比等登場-平城遷都|異説・
法隆寺
論|和同開珎-鋳銭のことはじめ|律令政治の表裏|古事記成立を推理する|日本書紀撰修-正史の秘密|忘却の不比等像|不比等以後|エピローグ
刊行年:1972/02
データ:『批評日本史 政治的人間の系譜』 1 思索社
948. 水野 敬三郎 阿弥陀如来像(住友吉左衛門・京都市)|釈迦如来像(
法隆寺
・奈良県斑鳩町)|薬師如来像(光明寺・飯田市)|薬師如来像(明星寺・三重県二見町)|阿弥陀如来像(新田棟一・東京都港区)|阿弥陀如来及両脇侍像(長岳寺・天理市)|阿弥陀如来像(平泉寺・愛知県阿久比町)|阿弥陀如来(伝薬師如来)像(大泰寺・和歌山県那智勝浦町)|観音菩薩像(平勝寺・愛知県足助町)|持国天・多聞天像(東大寺・奈良市)
刊行年:1967/11
データ:『日本彫刻史基礎史料集成 平安時代造像銘記篇』 3 中央公論美術出版
949. 水野 敬三郎 聖徳太子及侍者像(
法隆寺
・奈良県斑鳩町)|千手観音菩薩像(日野原宣・東京都世田谷区)|阿弥陀如来及両脇侍像(西光院・埼玉県宮代町)|地蔵菩薩像(浄瑠璃寺・京都府加茂町)|七仏薬師如来像(松虫寺・千葉県印旛村)|薬師如来像(福満寺・長野県麻績村)|薬師如来像(中禅寺・長野県塩田町)|持国天像(四天王像の内)(市場寺・上野市)
刊行年:1971/02
データ:『日本彫刻史基礎史料集成 平安時代造像銘記篇』 8 中央公論美術出版
950. 松本 包夫 はじめに|日本染織史と正倉院裂|由緒と用途(国家珍宝帳の記載品|大仏開眼会の使用品|聖武天皇一周忌斎会の使用品|その他の系統|
法隆寺
献納の染織品|浄衣類|調庸布類|由緒不明の染織)|素材と織技(概観|錦の種々相|生文裂と無地裂)|染物とその技法(概観|染法のさまざま)|文様の種々相|文様・織技の変遷∥正倉院裂の伝存と整理
刊行年:1974/11
データ:『日本の美術』 102 至文堂
951. 武井 紀子 秋田城跡「百済王三忠」漆紙文書│秋田城跡二五次調査井戸跡出土墨書│秋田城跡歴名木簡(複製)│秋田城「殿門酒」請求木簡(複製)│秋田城跡書状漆紙文書(復元複製)│クラの出納│
法隆寺
金堂釈迦三尊像台座墨書│双北里「佐官貸食記」木簡│小敷田遺跡出挙木簡(複製)│井上薬師堂遺跡「稲遺人」木簡│井上薬師堂遺跡「見上出挙」木簡│畝田・寺中遺跡出挙帳簿木簡(複製)
刊行年:2014/10
データ:『文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島』 国立歴史民俗博物館 解説文(Ⅰ 文字による支配)
952. 鈴木 嘉吉 飛鳥奈良時代建築の歴史と特質(仏教文化の輸入|宮から都へ|天平文化の華|大造営の時代|多様さと急速な推移|
法隆寺
再建非再建論争|寺院遺跡発掘の成果|飛鳥建築と天平建築|唐様式と天平建築)|飛鳥奈良時代建築の構造と意匠(古代建築の構造|組物を用いない建物|天平肘木の建物と和風化|三斗以上の建物)
刊行年:1982/10
データ:『日本の美術』 197 至文堂
953. 直木 孝次郎 古墳と豪族(文献にみえる各地域の豪族)|大和政権の進出と文化の展開(大和政権の進出|政治と文化の展開〈顕宗・仁賢両天皇の出現|開発の進行と有力氏族|
法隆寺
領の成立|交通の発達〉|神話と伝説)|律令制の社会(律令制と民衆|産業の発達と社会の実情〈農業の発達|漁業・製塩業の発達|鉱業・手工業の発達|商業の発達|律令税制の展開|正税帳と木簡〉|社会の変動|宗教と文化〈神社制度の整備|悠紀・主基の国々〉)
刊行年:1974/03
データ:『兵庫県史』 1 兵庫県
954. 吉村 武彦 プロローグ|厩戸王子の誕生(幼年時代と蘇我氏|少年時代の戦い|危機の回避と女帝)|太子としての「まつりごと」(上宮の厩戸王子|斑鳩宮の厩戸王子|「見えない王」の外交)|斑鳩寺建立と仏教信仰(斑鳩寺と高句麗僧・慧慈|厩戸王子と三経義疏|「世間虚仮」と晩年の思想)|聖徳太子像の形成(太子信仰の起点|
法隆寺
の再建と上宮王院|日本仏教の開祖となる)|エピローグ
刊行年:2002/01
データ:『聖徳太子』 岩波書店
955. 飯島 春敬 上古より白鳳までの概観|
法隆寺
金堂釈迦像光背銘|
法隆寺
金堂薬師像光背銘|聖徳太子筆 法華経義疏|長屋王発願大般若経(和銅五年)(神亀経)|瑜伽師地論・僧賢證願経(天平二年)|石川年足発願・仏説弥勒上生経|玄昉発願千手千眼陀羅尼経(天平十二年)|阿達磨倶舎論(天平勝宝四年)|増一阿含経科野虫麿写(天平宝字二年)|註妙法蓮華経|過去現在因果経|聖武天皇 封戸勅旨|装手実紙背 韓藍花の短歌|千字文断簡|王羲之書模写|仮名専用文|座右銘及び詩|国造豊足解紙背漢文|食口帳紙背詩文|七夕詩二韻及び詩|古文尚書及び草字彙|孝謙天皇 砂金奉請文|僧正美状(天平宝字六年閏十二月二日)|孝謙天皇詔(天平宝字二年八月一日)|写経生試字|日本国学生護勝書|秦家主啓|市原王書状|校生手実紙面文字弁嫌(天平十八年三月二十三日)|弓削道鏡書状|王勃詩序|鳥毛書屏風銘|玉集
刊行年:1956/02
データ:『定本書道全集』 8 河出書房
956. 浅井 和春 はじめに|奈良時代美術の底流(三つの品|天武系皇統の「呪縛」)|奈良時代前期(七一〇-七三五)(平城京の造営と大寺の移転|
法隆寺
五重塔と中門の塑像|元明天皇から元正天皇へ|薬師寺金堂薬師三尊像と東院堂聖観音像|興福寺の造営|聖武天皇の即位と光明子の立后|興福寺西金堂の造像|十大弟子・八部衆像)|奈良時代中期Ⅰ(七三五-七五三)(三千代・光明子と
法隆寺
|藤原四子政権から橘諸兄政権へ|藤原広嗣の乱、行幸、そして大仏造立宣言|大養徳国金光明寺と法華堂本尊不空羂索観音像)|奈良時代中期Ⅱ(七五四-七六四)(鑑真和上の来日と仲麻呂の唐風政治|唐招提寺の成立とその造像|法華寺阿弥陀浄土院の造像その他)|奈良時代後期(七六五-七八四)(称徳天皇と道鏡|称徳・道鏡と西大寺|光仁・桓武朝の新政策と造像)∥仏像と近代 仏像、博物館にならぶ
刊行年:2004/05
データ:『日本の美術』 456 至文堂 -∥付論
957. 瀧音 能之 磐井の乱「反乱・戦争」論争-筑紫君磐井の挙兵は大和政権への反抗か全面戦争か?|氏姓制度「実態」論争-氏・姓をめぐる種類・序列・役割は何によって区別されたか?|安閑・宣化朝と欽明朝の「二朝並立」論争-継体天皇の崩後、なぜ後継天皇の「紀年」が錯綜したのか?|古代女帝「即位理由」論争-推古天皇を最初とする「女帝」はどのような事情で誕生したのか?|国造・県主「形態」論争-「国」と「県」はどのような中央地方行政組織だったのか?|蘇我氏「出自」論争-古代最強の勢力を誇った豪族・蘇我氏の謎多き発祥地を検証する|
法隆寺
「再建・非再建」論争-現在の西院伽藍・
法隆寺
が「再建」された年代は確定できるか?|部民制「実態」論争-「謎の」職能集団はどのように制度化されたのか?|仏教「崇・排」論争-仏教の受容をめぐる蘇我氏と物部氏の対立は史実なのか?|大化の改新「史実・虚構」論争-「大化の改新はなかった」とする否定論は現在どこまで有効か?
刊行年:2001/01
データ:別冊歴史読本 26-2 新人物往来社 徹底検証 日本古代史「論争」総覧
958. 林 幹彌 はじめに|飛鳥・奈良時代の太子観(太子は往生人|太子はボサツ)|平安時代の太子信仰(太子は救世観音|太子信仰のメッカ|藤原道長と藤原頼長|太子信仰の普及)|鎌倉時代の太子信仰(末法と太子|南都の太子信仰|
法隆寺
の太子信仰|平安仏教と太子|新仏教の太子信仰|鎌倉の武家の太子信仰|庶民の太子信仰)|南北朝・室町の太子信仰(南朝と未来記|東山の太子堂と京都のひとびと|禅宗と聖徳太子|知識人と太子伝|室町将軍の太子信仰|太子信仰の普及|乱世の太子信仰)
刊行年:1972/06
データ:『太子信仰-その発生と発展-』 評論社
959. 新川 登亀男 家永三郎『上宮聖徳法王帝説の研究』各論篇・総論篇,三省堂,1951-53(増訂版,1970;比較文化研究所,2001)|荻野三七彦『聖徳太子伝古今目録抄の基礎的研究』
法隆寺
,1937(名著出版,1980)|下出積與『日本古代の神祇と道教』吉川弘文館,1972|下出積與『古代神仙思想の研究』吉川弘文館,1986|新川登亀男『上宮聖徳太子伝補闕記の研究』吉川弘文館,1980|新川登亀男『日本古代の儀礼と表現』吉川弘文館,1999|新川登亀男『日本古代の対外交渉と仏教』吉川弘文館,1999|福永光司『道教と古代日本』人文書院,1987|藪田嘉一郎『日本古代文化と宗教』平凡社,1976
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
960. 新川 登亀男 ホトケの教え│弥勒寺西塔出土舎利荘厳│王輿寺出土舎利容器(複製)│飛鳥寺木塔舎利埋納物│一切経 集神州三宝感通録 上│戒律伝来記 上巻并序│元興璽縁起(醍醐寺本諸寺縁起集)より│飛鳥池遺跡北地区「多心経」木簡│飛鳥池遺跡北地区観世音経・論語木簡│飛鳥池遺跡北地区寺名木簡│飛鳥池遺跡北地区「飢者」布施木簡│難波宮跡「宿世」木簡(複製)│陵山里寺址「宿世」木簡│土塔出土刻書須恵器願文│土塔出土「神亀四年」銘軒丸瓦│
法隆寺
観世音菩薩造像記銅板拓本│仏教をめぐる交流│大般若波羅蜜多経巻二四四(和銅五年長屋王願経)│高野雑筆集 下巻│加句霊験仏頂尊勝陀羅尼記(複製)
刊行年:2014/10
データ:『文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島』 国立歴史民俗博物館 解説文(Ⅱ 信仰と文字)