日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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941. 小林 清治 風土と人間-みちのくの玄関|原始・古代-みちのくの関(福島のあけぼの|みちのくの国造|勿来の関・白河の関|恵日寺と白水阿弥陀堂)|中世-南奥の群雄(陸奥の古豪と
関東
武士|霊山と宇津峰|笹川公方と稲村公方|南奥の争覇戦)|近世-奥羽のおさえ(領主の交替)
刊行年:1970/03
データ:『福島県の歴史』 山川出版社
942. 原田 信男 篠田統『米と日本人』角川書店,1961(改題増補版:『米の文化史』社会思想社,1970;同増補版,1977;復刻版:東京書房,1985)|高島緑雄『
関東
中世水田の研究』日本経済評論社,1997|原田信男『歴史のなかの米と肉』平凡社,1993|古島敏雄『土地に刻まれた歴史』岩波新書,1967
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
943. 町田 洋 富士・箱根火山-
関東
ロームのふるさと|十和田カルデラと八甲田カルデラ-マグマ水蒸気噴火の産物|北海道南西部の諸火山-多様な火山地形と北日本の広域テフラの給源|九州のカルデラ-巨大噴火とその影響|白頭山-北日本から解明された10世紀の大噴火|ハワイ-噴火を続けるホットスポット
刊行年:1998/03
データ:『写真でみる火山の自然史』 東京大学出版会 十和田a
944. - 個別荘園研究論文目録〔一〕奥羽
関東
地方|個別庄園研究論文目録(二)中部地方|同(三)近畿地方一|同(四)近畿地方二|同(五)近畿地方(三)|同(六)近畿地方(四)|同 中国・四国地方|個別荘園研究論文目録(八)九州地方
刊行年:1949/10-1952/09
データ:国史学 51~58 国史学会
945. 青木 和夫|赤松 俊秀|阿部 眞琴|有坂 隆道|井上 薫|井上 光貞(司会)|上田 正昭|上横手 雅敬|岡田 章雄(司会)|笠原 一男|北島 正元|小西 四郎|小林 茂|佐藤 進一|塩野 芳夫|豊田 武|尾藤 正英|森 杉夫
関東
関西史学界の動向(上-古代・中世)(下-近世・近代)
刊行年:1960/01|02
データ:日本歴史 139|140 吉川弘文館 座談会
946. 菊地 芳朗 展示概説-会津大塚山古墳の時代∥古墳とは何か|前方後円墳の時代|前方後円墳説への疑問|前方後方形の衝撃|会津盆地の古墳と遺跡|古墳時代のはじまり|古墳時代の区分と年代∥墳形と外部構造|主体部|銅鏡|武器・武具|鉄製農工漁具|埴輪|石製品∥東北地方南部|
関東
地方|中部北陸地方((概説)|北平1号墳)|近畿地方((概説)|東北地方北部((概説))∥会津大塚山古墳の築造年代
刊行年:1994/10
データ:『会津大塚山古墳の時代-激動の三・四世紀』 福島県立博物館 -∥古墳時代のはじまり∥王者のつながり∥古墳の広がり∥遺物解説
947. 重松 一義 日本の刑罰思想の変遷と社会的背景(刑罰の概念|古代の刑罰思想〈眼には眼を|神法時代の刑律|刑罰の縁坐制と身分制〉|飛鳥・奈良・平安時代の刑罰思想〈十七条憲法|古典的刑罰の三大法典|律の「八虐」|寬刑と”地獄思想”〉|鎌倉・室町・戦国時代の刑罰思想〈末期的様相|御成敗式目大犯三箇条|
関東
裁許状|喧嘩両成敗|官紀の退廃一揆の蜂起|家法と分国法の発生|五人組制度〉)
刊行年:1972/10
データ:『日本刑罰史年表』 雄山閣出版 総説 日本の刑罰思想と行刑制度∥増補改訂版(柏書房,2007/07)
948. 小林 清治 武士団の成立(
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武士団への所領宛行|武士団と村落〈中通り地方《伊達氏|信夫庄と佐藤氏|白河庄と結城氏》〉|会津〈《会津と蘆名氏-会津蘆名の同族》〉|支配の体制と矛盾の展開)|南北朝の動乱(動乱と各地域〈中通り地方《伊達氏|信夫庄と佐藤氏|田村庄と田村一族|石川庄|結城白川氏》〉|動乱と南奥)
刊行年:1969/03
データ:『福島県史』 1 福島県
949. 平野 明夫 守護千葉氏の変貌と相馬地域(千葉氏の内部変化|在地に根づく勢力|新たな領主層の台頭|我孫子市周辺をめぐる戦闘)|北条領国下の市域周辺(守護千葉氏から戦国大名北条氏へ|我孫子市域周辺の様相)|押し寄せる統一権力と市域周辺(北条氏と統一権力の対決|北条氏の総動員体制と市域周辺の領主たち|徳川家康の
関東
入国と武士たちの土着)
刊行年:2005/03
データ:『我孫子市史』 通史編 戦国の世の我孫子
950. 川窪 奈津子 源頼朝請文案│
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下知状│源頼朝書状│宗像大菩薩御延喜│宗像宮創造記│後堀河天皇綸旨案│筑前国司庁宣│官宣旨│聖護院道増書状│阿弥陀経石│阿弥陀経石拓本│阿弥陀経石(阿弥陀仏面│阿弥陀経面│側面追刻銘・敷石)│問注所執事・奉行人連署問状案 沙弥浄恵(宗像氏業)請文案│石造狛犬 一対│木造色定法師坐像│色定法師一筆一切経奥書│色定法師一筆一切経│宗像大神宮神官・僧官・御灯衆等連署起請文│宗像社事書
刊行年:2014/08
データ:『宗像大社国宝展-神の島・沖ノ島と大社の神宝』 (公)出光美術館編 作品解説(第3章 宗像大社文書の世界.-宗像大宮司家と中世の海外交渉)
951. 尾崎 竹四郎 まだ日本でなかった頃-古代から平安末期まで(青森県の古い呼び名|蝦夷のむかし|文化は北から|東北征服に二五〇年|平泉藤原と青森県)|戦乱と荒廃の明け暮れ-鎌倉時代から戦国へ(大河兼任の乱|善知鳥物語|
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武士の進出|津軽平野は語る|武士も本来は功利的なもの|曾我、安東の滅亡|下北の蠣崎蔵人|南部氏、津軽も支配|領主も家臣も同じ)|戦国の縮図・信直と為信の抗争-戦国から統一へ(津軽氏の身元|南部のお家騒動|目ざめゆく土民の姿|為信、津軽を征服|武士も戦争はきらい|朱印状争い|秀吉の天下統一と青森県|戦国武士にみる世相|関ヶ原の戦いと家督争い|乱世のしめくくり)|むすび
刊行年:1959/12
データ:『新釈青森県史』 前篇 東奥日報社
952. 黒尾 和久 日本列島(更新世と完新世|日本列島の成り立ち|ナウマンゾウ・オオツノジカ|縄文海進と海退|照葉樹林文化とナラ林文化)|列島の人々(列島の化石人類|明石人骨|原日本人説|アルタイ語族|モンゴロイド)|旧石器文化(旧石器時代|ルバロア技法|岩宿遺跡|
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ローム層|ナイフ形石器文化|局部磨製石斧|礫群・配石|細石刃文化|湧別技法・矢出川技法|尖頭器文化)|縄文文化(縄文文化|モース|縄文土器|縄文土器の編年|貝塚|環状集落跡|竪穴住居跡|敷石住居|低湿地遺跡|鳥浜遺跡|三内丸山遺跡|弓矢・石鏃|打製石斧|磨製石斧|漁撈具|骨角器|縄文人の精神世界|土偶|抜歯|葬法|配石遺構|環状列石|環状土離|縄文時代の交易|黒曜石|サケ・マス論|縄文農耕論|縄文時代の植物食|プラント・オパール)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 日本列島のあけぼの
953. 遠山 美都男 王を奴に、奴を王に……|待たされた即位(岡宮御宇天皇-祖父、草壁皇子|御狩立たしし時は来向かふ-父、文武天皇|年歯幼稚にして-元明から元正へ|乗輿を指斥す-皇太子の奏上)|天下の富と勢いと(恐るらくは違勅とならむ-皇太夫人の称号|左道を学ぶ-左大臣の犯罪|災異、頻りに臻る-藤原四子と橘諸兄と|女子の継には在れども-阿倍内親王の立太子|天地の災異を陳ぶ-広嗣、反乱|その時に非ずと雖も-
関東
への行幸|一枝の草、一把の土-紫香楽宮の幻想|いずれを都と為さむ-恭仁か?難波か?)|太上天皇、沙弥勝満(一万五千七百の灯火-金鐘寺行幸|朕は三宝の奴-出家、そして譲位へ|紫微中台-聖武「院政」の開幕|天神地祇を率いて-八幡大神、入京す|道祖王を皇太子に-遺詔)|再び、宇佐八幡神託事件
刊行年:1999/03
データ:『彷徨の王権 聖武天皇』 角川書店
954. 五味 文彦 書物史の方法-『本朝書籍目録』を素材に|中世の書物世界の枠組み(未完の歴史書-『扶桑略記』と『今昔物語集』『栄花物語』)|文士と諸道の世界-『朝野群載』を読み解く|言談の記録と場-『中外抄』『富家語』と『江談抄』|賢王の記録-院政期の和歌と漢文学)|書物の表と裏(奥書の書物史-年中行事書の展開|紙背に書物を探る-『中右記部類』と藤原忠親|家記の編集と利用-法書と検非違使の記録|作為の交談-守覚法親王の書物世界)|王法と仏法の言説(今様と音芸の王権-『梁塵秘抄』の世界|歌僧と勧進-『宝物集』を探る|王権と説話-『古事談』『続古事談』『六代勝事記』|発心と遁世へのいざない-『発心集』・往生伝・『閑居友』)|説話の文法(雑談の時代-『今物語』と『宇治拾遺物語』から|紀行文の形成-『海道記』『東関紀行』の歴史的位置|芸の伝承と家-楽書の展開|説話集と家-『十訓抄』から『古今著聞集』へ)|書物世界の再編(書物世界の再構築-後嵯峨院政と書籍の展開|歴史書の時代相-『百練抄』と『五代帝王物語』|
関東
の記録と物語-『吾妻鏡』の形成|経巻の説話学-日吉山王絵巻の周辺)|読者と観衆の誕生-『野守鏡』と絵巻|むすびにかえて
刊行年:2003/12
データ:『書物の中世史』 みすず書房
955. 森 浩一 時間をどう記述したか(『常陸国風土記』の時間記述|天皇の名か、宮の名か?|「元号」の使用はいつからか|『日本書紀』における元号記述)|銅鏡の「年代」をめぐって(「年号」鏡は年代の定点にできるか|「景初三年」銘銅鏡は〝卑弥呼の鏡〟か|銅鏡の銘文に対する心がまえ|神原神社古墳の「景初三年」銘鏡|「景初四年」銘鏡-完全な銘文-の発見|「青龍三年」銘の方格規矩鏡ー舶載か製か|伊都国の方格規矩鏡|「方格規矩鏡」を考える|「青龍三年」の国際情勢)|諸所に刻まれた年号(刀剣に刻まれた年号〈東大寺山古墳の刀の「中平□年」銘/埼玉稲荷山古墳の剣の銘文/江田船山古墳の刀の銘文〉|
関東
の文字文化-上野三碑の年号と銘文〈那須国造碑の銘文/上野三碑の銘文〉|石上神宮の七支刀の銘文|隅田八幡宮の「癸未年」銘の人物画像鏡〈百済の斯麻王大墓をめぐって/河内での青銅器の製作/銘文は現物に即して読む〉)|「暦」はどのように使われたか(干支の使用|漆紙文書と暦|干支六角柱と菅江真澄〈秋田の埋没建物/記憶のメモ用の干支六角柱〉|「大化」は最初の元号か〈宇治橋建造と「大化二年」/舟橋と山崎橋/上毛野の佐野の舟橋/道登と高句麗の大同江の大橋/再び宇治橋と大化の元号〉)
刊行年:2007/10
データ:『古代史おさらい帖-考古学・古代学課題ノート』 筑摩書房 年代の見方
956. 角田 文衞 北山の准后(貞子の回想|源氏と平家)|嵐の後(女院の還御|
関東
護送|平家の生虜たち|宗盛父子の最後|三位中将重衡の場合)|さまざまな運命(平家の侍大将|平貞能の東国落ち|頼盛の軌跡|流人発遣|生虜の侍たち|阿波民部大夫)|平家の残党(平孫狩り|宗親と時実兄弟|盛久と盛嗣の場合|丹後侍従|宗家の開祖|平家谷)|女人の行方(清盛の娘たち|女院の大原入り|大原御幸|時忠の一族|治部卿局|頼盛の遺族)|北陸の空(時忠と能登国|時忠の末裔|長兵衛尉信連|越後平氏|平永茂|建仁の乱|坂額の奮戦)|鎮魂の歌(冷泉大納言隆房|平家公達草紙|栄耀の日々|草紙と絵巻|女院の動静)|時の流れ(伊賀大夫|悪七兵衛景清|三日平氏の乱|乱の余波|流人召|忠快僧都|幻の旅路)|おどろの路(院の近臣|維盛の遺族|勢観房源智|信範の一家|従三位教子)|暗雲(順徳院の周辺|鎌倉家の末路|鎌倉家の御家人|貞子の結婚|頼盛の子孫)|源平の黄昏(四條局の隆昌|『平家物語』の作者たち|堂上平氏の存栄|六波羅家の後裔)|諸家系譜抄|あとがき
刊行年:1978/09
データ:『平家後抄-落日後の平家』 朝日新聞社
957. 百瀬 明治 治承四年~寿永元年(一一八〇~一一八二)蜂起する各地の源氏|寿永二年~文治元年(一一八三~一一八五)平氏、西海に滅ぶ|文治二年~建久元年(一一八六~一一九〇)奥州藤原氏の滅亡|建久二年~建久五年(一一九一~一一九四)鎌倉幕府の確立|建久六年~正治二年(一一九五~一二〇〇)建久七年の政変と頼朝の死|建仁元年~元久二年(一二〇一~一二〇五)将軍家をめぐる暗闘|建永元年~建暦二年(一二〇六~一二一二)広まる念仏宗|建保元年~承久二年(一二一三~一二二〇)源氏の正系断絶|承久三年~嘉禄元年(一二二二~一二二五)承久の乱とその余波|嘉禄二年~寛喜三年(一二二六~一二三一)闘う僧徒たち|貞永元年~仁治元年(一二三二~一二四〇)道元と禅の興隆|仁治二年~宝治二年(一二四一~一二四八)名執権の死と鎌倉の動揺|建長元年~文応元年(一二四九~一二六〇)摂家将軍から親王将軍へ|弘長元年~文永九年(一二六一~一二七二)日蓮の苦闘と他国侵逼難|文永十年~建治三年(一二七三~一二七七)蒙古軍大挙来襲す|弘安元年~弘安七年(一二七八~一二八四)国難ふたたび-弘安の役|弘安八年~永仁元年(一二八五~一二九三)霜月騒動と恐怖政治|永仁二年~正安二年(一二九四~一三〇〇)窮乏する御家人|正安三年~延慶三年(一三〇一~一三一〇)得宗専制体制のもとで|応長元年~元応二年(一三一一~一三二〇)文保の和談と後醍醐天皇|元亨元年~元徳元年(一三二一~一三二九)後醍醐親政と正中の変|元徳二年~正慶元年 元弘二年(一三三〇~一三三二)主上御謀反-元弘の乱|正慶二年 元弘三年~建武二年(一三三三~一三三五)公武一統-建武の新政|建武三年 延元元年~暦応二年 延元四年(一三三六~一三三九)南北朝時代の幕開け|暦応三年 興国元年~康永三年 興国五年(一三四〇~一三四四)豪壮・華麗-婆娑羅の時代|貞和四年 興国六年~貞和四年 正平三年(一三四五~一三四八)炎上する吉野行宮|貞和五年 正平四年~文和元年 正平七年(一三四九~一三五二)二つに割れた幕府|文和二年 正平八年~延文二年 正平一二年(一三五三~一三五七)京都をめぐる攻防|延文三年 正平一三年~貞治三年 正平一九年(一三五八~一三六四)尊氏の死と南朝の残映|貞治四年 正平二〇年~応安元年 正平二三年(一三六五~一三六八)幼将軍と名執事|応安二年 正平二四年~康暦元年 天授五年(一三六九~一三七九)康暦の政変-名執事去る|康暦二年 天授六年~至徳元年 元中元年(一三八〇~一三八四)花の御所と相国寺|至徳二年 元中二年~応永四年(一三八五~一三九七)南北朝合一への道|応永五年~応永一二年(一三九八~一四〇五)応永の乱と勘合貿易|応永一三年~応永一七年(一四〇六~一四一〇)野望目前〝日本国王〟の死|応永一八年~応永二四年(一四一一~一四一七)
関東
の争乱と鎌倉公方|応永二五年~応永三二年(一四一八~一四二五)泰平謳歌-芸能の興隆|応永三三年~永享三年(一四二六~一四三一)蜂起する土一揆の嵐|永享四年~永享一一年(一四三二~一四三九)足利氏内訌-永享の乱|永享一二年~文安五年(一四四〇~一四四八)恐怖政治のツケ-将軍暗殺|宝徳元年~寛正二年(一四四九~一四六一)満城の紅緑誰がために肥ゆる|寛正三年~応仁元年(一四六二~一四六七)天下大乱の前夜
刊行年:1982/01
データ:『読める年表』 3 自由国民社