日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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1001. 大友 幸男 はじめに|北上川と江釣子古墳群|「蝦夷塚」式の古墳群|縄文時代の東北|日本海文化圏と東北|古代人の信仰|「言葉の化石」アイヌ語地名|日本語の原点|秘められた「蝦夷史」|東北古代史の新視点|(付録)東北古代の短里法で解ける「
邪馬台国
」|おわりに
刊行年:1994/10
データ:『江釣子古墳群の謎-古代東北と蝦夷』 三一書房
1002. 大庭 脩 卑弥呼と諸葛孔明|漢と倭の交渉|
邪馬台国
をめぐる国際関係|卑弥呼が魏からもらった辞令|魏は倭人の力をどうみたか|高階遠成が唐からもらった辞令|豊臣秀吉が明からもらった辞令|漢の将軍から宋の将軍へ|中郎将と校尉の変遷|率善中郎将・卒善校尉|倭人伝の本文批判の問題
刊行年:1971/12
データ:『親魏倭王』 学生社 仮授 古代中世における日中関係史の研究
1003. 山岸 良二 弥生式土器の誕生|前方後円墳への視点|稲がたどった道|埋められた銅剣・銅鐸|
邪馬台国
の面影|倭国大乱のあかし|墓が示す身分差|大冢・卑弥子の墓|「景初四年」銘の秘密|墳形が示すもの|二つの石室形式|後の世に残る装飾|騎馬民族説の登場|埋没したムラ
刊行年:?
データ:毎日中学生新聞 毎日新聞社 発掘のロマン最前線
1004. 森田 悌 史書のなかのクニ(漢書・地理志|後漢書・東夷伝|魏志・倭人伝|宋書|隋書|楽浪郡|帯方郡|倭|クニ|邪馬台連合|
邪馬台国
の位置|倭の政治・社会|漢委奴国王印|卑弥呼|シャーマニズム|高地性集落)
刊行年:2005/09
データ:『日本古代史事典』 朝倉書店 農耕の定着とクニの成立
1005. 武光 誠 日本神話の基礎史料|
邪馬台国
の基礎史料|卑弥呼の基礎史料|大和政権成立の基礎史料|倭の五王の基礎史料|継体・欽明朝の基礎史料|仏教公伝の基礎史料|聖徳太子の基礎史料|大化改新の基礎史料|白村江の戦いの基礎史料|壬申の乱の基礎史料|奥州藤原四代の基礎史料
刊行年:1994/03
データ:歴史読本 39-6 新人物往来社 古代史篇
1006. 白石 太一郎 考古学と古代史の間をさまよう(考古学との出会い|歴史を学ぶ意味|古代史への関心|古代史をやるか、考古学をやるか|歴史を掘り出す|考古学と古代史の協業)|『魏志』倭人伝と考古学(
邪馬台国
はどこか|倭国はどうして成立したのか|倭国の成立はいつか|『魏志』倭人伝の風俗記事)|ヤマト政権成立(
邪馬台国
と狗奴国|
邪馬台国
連合から初期ヤマト政権へ|初期ヤマト王権の基盤とその原領域|王と巫女)|記・紀の王統譜は信じられるか(王墓の移動|盟主権移動の背景|古代の王墓と天皇陵|ヤマト王権と地域政権)|稲荷山鉄剣と江田船山大刀(稲荷山古墳と稲荷山鉄剣|江田船山古墳と江田船山大刀|王から大王へ)|倭国の文明化と古代国家の形成(騎馬民族はやってきたのか|倭国の文明化をもたらしたもの|古代国家への道)
刊行年:2004/02
データ:『考古学と古代史の間』 筑摩書房
1007. 平野 邦雄 『稲荷山古墳鉄剣銘』の解釈|『江田船山古墳大刀銘』の解釈|〝任那日本府〟の問題|六世紀の国家組織-ミヤケ制の成立と展開(ミヤケ制の意義|いわゆる〝前期型ミヤケ〟|いわゆる〝後期型ミヤケ〟(その一)|同(その二)|神郡と神戸)|推古朝の政治(王系の諸問題|厩戸皇子と蘇我大臣)|家部についての補論|
邪馬台国
論への新たな視角
刊行年:1985/06
データ:『大化前代政治過程の研究』 吉川弘文館 歴史読本39-14(特別増刊・日本国家の起源を探る)
1008. 山岸 良二 最北端の水田址が示す、稲を伝えた「海上の道」|巨大な墳丘墓にみる弥生人の葬送儀礼|出雲王権を裏付ける銅剣・銅鐸・銅矛の三点セット|銅鐸はほんとうに共同体の祭器だったのか|
邪馬台国
を髣髴させる大環濠集落|空白の五世紀、「王賜」鉄剣は何を語るか|ヤマトと結ばれた東国豪族の居館|「日本のポンペイ」出現、軽石の下から古代の農村
刊行年:1989/11
データ:『古代史はこう書き変えられる-検証・33の遺跡』 立風書房
1009. 森田 悌 浅香年木『日本古代手工業史の研究』法政大学出版局,1971|森田悌『平安時代政治史研究』吉川弘文館,1978|森田悌『日本古代律令法史の研究』文献出版,1986|森田悌『日本古代の政治と宗教』雄山閣出版,1997|森田悌『
邪馬台国
とヤマト政権』東京堂出版,1998|森田悌『日本古代の駅伝と交通』岩田書院,2000|山中裕『平安朝の年中行事』塙書房,1972|山中裕『藤原道長』教育社,1988
刊行年:2003/12
データ:『日本史文献事典』 弘文堂 第Ⅰ部
1010. 谷川 健一 はじめに|常世.-日本人の認識の祖型|産屋の砂|サルタヒコの誕生|海の来訪神.-南島を中心に|水辺の蛇身の女神|挽歌の発生|密閉された再生の容器|鶏型土器について.-物の霊|『稲の日本史』を再読する.-『大嘗祭の成立』補記|物部氏族と
邪馬台国
の東遷.-河内の日下をめぐって|ニギハヤシの栄光|最後のヤマトタケル|女帝と斎宮.-兄と妹の親和力|
刊行年:2003/09
データ:『史話日本の古代』 別巻 作品社
1011. 川﨑 晃 神功皇后は
邪馬台国
の女王卑弥呼だったか|応神天皇は始祖王か|応神と仁徳は同一人物か|磐之媛皇后は嫉妬深いか|七支刀は誰が何のために贈ったのか|高句麗広開土王碑の倭はヤマト政権か|倭の五王は誰で遣使はいつから始まったのか|倭の五王は大和の王か|「王賜」鉄剣銘の「王」とは誰か|倭の五王は宋に何を求めたか|雄略天皇はどの地域までを支配したか|武烈は悪逆非道の天皇か
刊行年:1998/09
データ:『古代天皇101の謎』 新人物往来社 大王家成立をめぐる謎
1012. 佐原 眞 魏志倭人伝の考古学-兵は矛・楯・木弓を用う|-木弓短下長上竹箭或鉄鏃或骨鏃|-居処宮室楼観城柵厳設|倭地温暖冬夏食生菜|南至
邪馬台国
|食飲用豆手食|好捕魚鰒水無深浅皆沈没取之|男子無大小皆黥面文身…諸国文身各異或左或右或大或小尊卑有差|男子皆露以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫婦人…作衣如単被穿其中央貫頭衣之種…|蚕桑緝績|徒跌、灼骨その他
刊行年:1995/06-1997/03
データ:歴博 71~81 国立歴史民俗博物館 連載 真の部屋〔第1回〕~〔第11回〕 魏志倭人伝の考古学
1013. 林屋 辰三郎 歴史と文化(歴史の発生|文化の創造)|古代の誕生(原始人の営み|農耕社会の黎明|小国家の形成|
邪馬台国
|大和国家の成立|古代国家の構造|継体・欽明朝の内乱|内乱期の文化)|律令の世界(智識の誕生|飛鳥朝廷と文化|大化の改新|律令制と氏族制|班田農民の生活|仏教国家の発展|平安の新京)|王朝の盛衰(荘園と国領|延喜・天暦の治|摂関政治|藤原文化|政治の転換)|中世の形成(院政の意義|武士の政権|治承・寿永の内乱|鎌倉幕府|変革期の文化)|道理の世界(武家の社会|朝廷と幕府|執権政治|蒙古襲来|鎌倉文化|南北朝内乱)
刊行年:1966/11
データ:『日本 歴史と文化』 平凡社
1014. 直木 孝次郎 三~五世紀の大阪(
邪馬台国
と大阪|初期大和政権と大阪|河内政権の成立|大和政権と河内政権の関係|河内政権の発展|河内政権と第二次大和政権)|政治と文化の展開(住吉津と難波津|渡来人の活動|河内政権以後の皇居と離宮|県主と国造|屯倉と水利)|難波の繁栄(大伴・物部の盛衰|難波の発展|推古・舒明・皇極朝の外交)|国郡の制と氏族の分布(郡郷の領域と居住氏族|国府の位置-文献を中心に〈摂津の国府|河内の国府|和泉の国府〉)
刊行年:1990/03
データ:『大阪府史』 2 大阪府
1015. 斎藤 忠 古墳の概念(古墳の意義|古墳への関心|古墳の古さと新しさ)|日本古墳の源流(大陸の古墳|わが国における弥生式文化の墓制)|古墳のかた(立地の上からのかた|墳丘の上からのかた|遺骸を収める施設の上からのかた|副葬品のかた)|古墳の推移(初現的なすがた|壮大化したすがた|整美化したすがた)|古墳の築造(墳丘の築造|内部構造施設の営み|古墳築造に関する2|3の問題)|埋葬の儀礼(送葬の儀礼|遺骸の収め方と副葬品の配置|埋葬後の儀礼)|古墳の被葬者(治定された諸陵墓|古墳の被葬者の定め方)|古墳に関する諸問題(古墳の向き|古墳群|合葬|主墳と陪墳|古墳の地域的性格)|古墳と古代史(
邪馬台国
の位置の問題|統一国家の発生とその発展の問題|国造の統治圏と古墳の文化圏|大化改新前後の社会の問題)|付表(古墳編年表|前方後円墳等分布図|地域別古墳報告書一覧|地域別本書引用古墳一覧)
刊行年:1961/08
データ:『日本古墳の研究』 吉川弘文館
1016. 黛 弘道 古代史の争点(①稲荷山古墳出土の鉄剣銘|②獲加多支大王は欽明天皇か|③鉄剣銘に見える「斯鬼宮」について|④太安万侶の勲五等について|⑤太安万侶の没年月日について|⑥太安万侶の墓誌と続紀の日付|⑦官位と勲位について-林陸朗氏の批判に答えて|⑧高皇産霊尊と藤原不比等|⑨「マヘツキミ」について|⑩獲加多支大王は欽明天皇か|⑪鉄剣銘に見える「杖刀人」について|⑫武烈天皇は雄略天皇の子・孫か|⑬大津皇子の謀反について|⑭大田田根子の名義について|⑮「古事記序文」の署名について|⑯内臣の訓みについて|⑰大仏造立事業の主導者は誰か|⑱天武紀(下)の史料批判|⑲仏教公伝の年時について|⑳同(2)|21大内陵の位置について|22周防国の郷名について|23石門別神社について|24
邪馬台国
の位置について
刊行年:1979/01-1980/12
データ:歴史手帖 7-1~8-12 名著出版
1017. 橋本 増吉 支那の史料に現はれたる我が上代(一)~(十一)
刊行年:1927/06-1931/09
データ:史学 6-2~10-3 三田史学会 東洋史上より観たる日本上古史研究一(
邪馬台国
論考)|東洋史上より見たる日本上古史研究(再編後)
1018. 井上 秀雄 初期の朝鮮(原始社会〈旧石器時代|新石器時代から鉄器時代へ|原始共同体〉|古朝鮮〈〝古朝鮮〟と〝朝鮮〟|檀君神話|箕氏朝鮮|朝鮮民族の起源|衛氏朝鮮〉|漢人支配と自立への道〈衛氏朝鮮の滅亡|漢の郡県支配|後漢の異民族支配と郡県支配の変質〉|高句麗の発展〈遼東太守公孫氏と初期高句麗|後漢王朝の廃滅と偽の進出〉)|原始国家の形成(小国家群-馬韓・弁韓・辰韓〈『魏志』倭人伝|いくつかの疑問|韓族地方の風土|韓族の社会〉|楽浪・帯方二郡の滅亡〈二郡滅亡の経過|二郡滅亡の影響〉|高句麗の南下と広開土王陵碑〈五胡十六国時代と高句麗|広開土王陵碑〉)|三国の興亡(1)(百済と倭〈伯済国と百済建国神話|中国王朝との冊封関係|『宋書』と百済の〝遼西支配〟|国際関係の中の
邪馬台国
|大和朝廷と南朝鮮|『百済本記』『百済記』と任那日本府〉|百済の盛衰〈国家的発展と王位継承|王城の陥落と政治・社会構造|百済再興と新たなる発展|東城王と南方への領土拡大|五世紀東アジアの国際秩序体系|官僚制への移行と東城王の殺害|『百済本記』『日本書紀』による百済と任那|大和朝廷と百済|高句麗・百済との抗争〉)|三国の興亡(2)(新羅の台頭〈辰韓の斯盧国と新羅建国神話|斯盧から新羅へ|五世紀の新羅|倭について|智證麻立干の時代|法興王の時代|仏教の伝来|征服王朝の全盛期-真興王と国史の編纂|異斯夫と山城の築城|于老伝説|倭・高句麗との関係|真興王の四碑〉|新羅と百済の文化を訪ねて〈新羅の文化|百済の文化〉)|統一戦争(隋の統一と朝鮮三国〈隋への朝貢と抵抗|仏教の興隆と国史編纂|隋煬帝の高句麗出兵〉|唐と七世紀前半の三国対立〈唐太宗の対外強硬策|泉蓋蘇文のクーデターと高句麗の軍国化|唐の新羅救援と高句麗出兵|新羅の内乱と政治改革〉|新羅の統一戦争と律令体制の成立〈百済・高句麗討滅戦|対唐戦争|地方豪族・下級貴族と律令体制|〝倭〟から〝日本〟へ-国号改正記事について〉)|統一新羅(律令時代〈新羅の統一と兵制の変遷|律令制と官制|地方行政と九州・五京制|律令田制の沿革|恵恭王代の内乱〉|骨品制度の形成〈骨制の成立|元聖王時代|金憲昌の乱|頭品制の成立〉|後三国と新羅の滅亡〈王権の争奪|弓福の活躍と藤原政権の新羅政策|後三国の興亡|古代朝鮮〉)|古代朝鮮史年表|あとがき
刊行年:1972/11
データ:『古代朝鮮』 日本放送出版協会 現代のエスプリ107