日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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1541. 喜田 貞吉 所謂神籠石は果して山城か 敢て関野博士の示教を求む
刊行年:1912/10
データ:
歴史地理
20-4 日本
歴史地理
学会(編輯)|三省堂書店(発行) 神籠石論の由来|関野君の神籠石城郭説|基山の遺跡は果たして所謂神籠石なりや|所謂神籠石は防御の目的にそはず経済の原則にあはず|先づ鹿毛馬の遺跡を研究せよ 喜田貞吉著作集1石器時代と考古学
1542. 喜田 貞吉 再び鎌足及び不比等の墓所に就いて 附冬嗣及び基経の墓所に就いて
刊行年:1916/06
データ:
歴史地理
27-6 日本
歴史地理
学会 緒言|谷森翁の淡悔公佐保山椎岡攷証|中世に至り不比等椎山墓が崇敬せらるるにいたりし理由如何|中頃多武峯の墓の主換りたりという事に就きて|雑事一束|冬嗣及び基経の墓所について 喜田貞吉著作集3国史と仏教史
1543. 喜田 貞吉 日本大黒神考(上)(中)(下の一)~(下の三、完)(夷神考続篇)
刊行年:1918/01-09
データ:
歴史地理
31-1|3|6|32-1|3 日本
歴史地理
学会 緒言|印度の神としての大黒天神|唐代の大黒天神|我が大黒天神法式の立像|我が南海寄帰伝式の半跏像|大黒天神と摩多羅神|大黒天神と荼吉尼天並びに稲荷神|大黒天神と弁財天並びに宇賀神|大黒天神と大国主神附その神像の変遷|福神としての我が大黒神|西ノ宮夷と我が大黒神|約説
1544. 喜田 貞吉 蝦夷名義考(蝦夷考の一)|蝦夷名義考の補考(蝦夷考の二)
刊行年:1918/02|04
データ:
歴史地理
31-2|4 日本
歴史地理
学会 緒言|「蝦夷」はもと「カイ」の名称に充用せし仮字なること|越人及び吉志部とカイ|「えびす」の語義如何|緒言|蝦夷自ら「カイ」と称したりとのこと|カイの意義と其後の転訛|エビスとエゾ|蝦夷とアイヌとの異同について
1545. 喜田 貞吉 銅鐸考(秦人考別篇)
刊行年:1918/08
データ:
歴史地理
32-2 日本
歴史地理
学会 緒言|銅鐸は太古における一種の文明民族の遺物|銅鐸発見の範囲とその民族の分布|銅鐸の埋没とその民族の末路|銅鐸の鋳造地について|銅鐸の製作及びその意匠と民族|銅鐸の用途|銅鐸形式の変遷|銅鐸の年代|結語 喜田貞吉著作集1石器時代と考古学|論集日本文化の起源1考古学
1546. 鹿鳴閑人 々斎閑話
刊行年:1911/07|08|1912/01|02|07|08
データ:
歴史地理
18-1|2|19-1|2|20-1|2 日本
歴史地理
学会(編輯)|三省堂書店(発行) 20-1には「(七則)」とあり 前九年後三年といふこと|津軽渡島はもと出羽の中|筑紫の郷数|藤原氏と秦氏との縁組|秦氏の富有|疱瘡の流行と奈良朝の政変|疫病神を西の海に流す|夷人藤原秀衡|国司上下の日数|夷人藤原秀衡
1547. 櫻井 秀 中世上流の人文的生活に就きて|同(二)|同(完)
刊行年:1908/04|1909/05|06
データ:
歴史地理
11-4|13-5|6 日本
歴史地理
学会(編輯)|三省堂書店(発行) この中世は藤氏摂関時代の初期より鎌倉末世まで|朝廷との関係|他の社会との交渉|国司及び国文|古代法及現行法|有職故実|詩歌|音楽|雑芸|遊覧物詣|往来|贈答音信|野遊旅行|相互の補助|集会
1548. 稲葉 君山 真番郡の位置(真番郡在北説の再考を促す)
刊行年:1914/12
データ:
歴史地理
24-6 日本
歴史地理
学会 白鳥博士の大勢論への批判|漢人は如何にしてか真番を知れる|真番国は鴨緑江上源の地方にあらず|茂陵書の記録は真番在南を証す|史記の朝鮮列伝と漢書朝鮮伝との比較|廃郡問題より観察せる真番国|滄海郡は真番の故地か|真番国は朝鮮の忠清道
1549. 大槻 文彦 古奥旧地考摘録
刊行年:1901/07
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歴史地理
3-7 日本
歴史地理
研究会 道江岐閇国造|阿岐閇国造|思国造|伊寺水門|陸奥古国府|丹取郡|香阿村閇村|奥郡|奥邑|奥県|玉造塞|遠山村|賊帥阿互流為の居|巣伏村|鳥悔柵|志波城|徳円城|閉伊村 復軒雑纂
1550. 内田 銀藏 日本古代の村落制に就きて|同(承前)|同(承前)|同(承前完結)
刊行年:1900/06|07|09|11
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歴史地理
2-3|4|6|8 日本
歴史地理
研究会 村落のことを何と言ってゐたか|その性質|日本上古の村落は皆一般に大体において一様なる性質を具えたるものと思惟することを得べきや否や|血族団結に起因するや否や|政治法制上の沿革|特に唐隋法制の継受が我が村落制の上にいかなる影響を及ぼしたか
1551. 山田 新一郎 神代史と中国鉄山(一)~(五)
刊行年:1917/03|05-08
データ:
歴史地理
29-3|5|6|30-1|2 日本
歴史地理
学会 緒言|中国鉄山|採鉄は本邦最初の鉱業なるべし|中国鉄山の神|鐵及び鐵器に関する史伝|金属の始出記事|「かね」の語|刀剣尊重の国民性|和鐵漢銅|鐵鏡|本邦の銅器|余論(鐵山族と出雲文明)|余論(鐵山族と出雲文明続き)
1552. 平子 鐸嶺 法興寺と元興寺|同(承前)
刊行年:1904/04|05
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歴史地理
6-4|5 日本
歴史地理
研究会 「元興寺存疑」を評す|天武天皇の三大寺及文武天皇の四大寺|推古紀14年の元興寺は即それ法興寺のことならざる可らず|霊亀二年移徒の元興寺は飛鳥法興寺のことならざる可らず|付養老×建の法興寺|「法皇帝説」の中の元興寺|丈六金銅仏の鋳造
1553. 本多 辰次郎 再び多武峯墓に就て
刊行年:1916/04
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歴史地理
27-4 日本
歴史地理
学会 奈良朝の先例は平安朝に至りて悉く之を廃棄せるか|諱弁|類聚符宣抄の文|玉葉安元三年五月廿八日の文|今昔物語の文|多武峯の主の換りたる事情|大鏡の鎌足の墓は多武峯にありとの説
1554. 谷井 済一 神護石等は山城址なるを主張す
刊行年:1914/03
データ:
歴史地理
23-3 日本
歴史地理
学会 緒言|「神護石等」の名辞に就いて|神護石等に関する学説|喜田博士所論の要旨|大類学士所論の要点|喜田博士の示教ヘの答弁|大類学士の示教への答弁|霊域址説価値なし|神籠石等は山城址なり 西日本古代山城の研究
1555. 森口 奈良吉 続丹生川上神社考|同(承前完)
刊行年:1916/09|10
データ:
歴史地理
28-3|4 日本
歴史地理
学会 丹生川上下社の地は古の丹生川上神社の地にあらざることを証す|丹生川上上社の地は古の丹生川上神社の地にあらざることを証す|神武天皇親祭の霊蹟たる丹生川上の地を以て宇陀郡雨師なりとの説を排す|丹生川上神社の四至を再説す
1556. 白鳥 庫吉 唐時代の樺太島に就いて|唐時代の樺太島に就て(承前)|唐時代の樺太嶋に就いて(承前)|唐時代の樺太島に就いて(承前)|唐時代の樺太島に就いて(承前)
刊行年:1907/05-12
データ:
歴史地理
9-5|6|10-2|4|6 日本
歴史地理
学会 土室の事|衣服の事|弓矢の事|頭髪の事|雪履の事|食物の事|葬礼の事|歌舞の事|季節を知らざる事|馬なき事|気候の事 白鳥庫吉全集5塞外民族史研究 下
1557. 関野 貞 新定特別保護建造物概説
刊行年:1906/06
データ:
歴史地理
8-6 日本
歴史地理
研究会 霊雲院書院|御香宮神社表門|藤森神社境内|大将軍社々殿|八幡宮本殿|宝塔寺塔婆|同寺四脚門|出雲神社本殿|崇福寺大殿・三門・第一峯門|東大寺本坊経|法華堂手水屋|二月堂参籠所|その他
1558. 寺尾 英吉 奈良時代に於ける奥羽地方拓殖の進歩
刊行年:1901/01
データ:
歴史地理
3-1 日本
歴史地理
研究会 彊域の拡張|皇化の及ぶ区域の拡張の迹を記す|国郡及び人民|国郡の配置分合をみて拓殖進歩の次第を尋ね兼て人民の状態|朝廷のこれを遇する有様及び物産を論ず|奥羽の統御経略の機関|国衙及び鎮守府の組織を記し傍鎮兵軍団に及ぶ|概観
1559. 藤岡 謙二郎 飛鳥京域の
歴史地理
学的諸問題
刊行年:1971/02
データ:FHG 22 野外
歴史地理
学研究会 近畿野外地理巡検
1560. 木下 良 災害による国府の移転
刊行年:1976/04
データ:
歴史地理
学紀要 18