日本古代史関係研究文献目録データベース
小口雅史編
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9981. 金 戴洪∥北村 秀人訳 村山氏の「古代の日朝関係について」を読んで
刊行年:1967/01
データ:朝鮮史研究会会報 15 朝鮮史研究会 翻訳紹介∥金錫亨「三韓三国の
日本
列島内分国について」(『歴史科学』(北朝鮮)1963年1号所載、朝鮮史研究会訳刊)に対する批判論文である村山正雄「古代の日朝関係について」(『朝鮮史研究会論文集』一)に対しての反批判論文。『歴史科学』(北朝鮮)1966年4号掲載
9982. 木本 好信 恵美押勝の乱.-天皇権力と専権貴族との抗争
刊行年:1998/02
データ:別冊歴史読本 23-6 新人物往来社 奈良時代の人びとと政争|万葉時代の人びとと政争|平城京時代の人びとと政争
9983. 喜田 貞吉 土蜘蛛種族論に就て(小林君の駁論に答ふ)|同(続き)
刊行年:1907/07|08
データ:歴史地理 10-1|2
日本
歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行) はしがき|土蜘蛛種族論の性質を論す|東夷の中に蝦夷以外の種族ありきとの説に就て|飛騨人を以て土蜘蛛の遺類なりとなす説に就て|土蜘蛛と隼人との関係|土蜘蛛と鬼との関係|土蜘蛛の住居として伝ふる岩窟 喜田貞吉著作集8民族史の研究
9984. 喜田 貞吉 本邦都城の制|同(二)~(八)
刊行年:1911/01-12
データ:歴史地理 17-1|2|5|6|18-2|4~6
日本
歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行) 緒論|都城の意義|本邦都城の権輿|本邦都城の沿革|唐の都城と我が都城との比較|都城外郭の形城|羅城|街路と条坊|都城の広袤|保|京内宅地の班給・戸主|遺補 喜田貞吉著作集5都城の研究
9985. 喜田 貞吉 所謂神籠石は果して山城か 敢て関野博士の示教を求む
刊行年:1912/10
データ:歴史地理 20-4
日本
歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行) 神籠石論の由来|関野君の神籠石城郭説|基山の遺跡は果たして所謂神籠石なりや|所謂神籠石は防御の目的にそはず経済の原則にあはず|先づ鹿毛馬の遺跡を研究せよ 喜田貞吉著作集1石器時代と考古学
9986. 喜田 貞吉 再び鎌足及び不比等の墓所に就いて 附冬嗣及び基経の墓所に就いて
刊行年:1916/06
データ:歴史地理 27-6
日本
歴史地理学会 緒言|谷森翁の淡悔公佐保山椎岡攷証|中世に至り不比等椎山墓が崇敬せらるるにいたりし理由如何|中頃多武峯の墓の主換りたりという事に就きて|雑事一束|冬嗣及び基経の墓所について 喜田貞吉著作集3国史と仏教史
9987. 喜田 貞吉 蝦夷名義考(蝦夷考の一)|蝦夷名義考の補考(蝦夷考の二)
刊行年:1918/02|04
データ:歴史地理 31-2|4
日本
歴史地理学会 緒言|「蝦夷」はもと「カイ」の名称に充用せし仮字なること|越人及び吉志部とカイ|「えびす」の語義如何|緒言|蝦夷自ら「カイ」と称したりとのこと|カイの意義と其後の転訛|エビスとエゾ|蝦夷とアイヌとの異同について
9988. 喜田 貞吉輯録 国史地理資料(一)(二)(三)(五)
刊行年:1906/10|12|1907/01|04
データ:歴史地理 8-10|12|9-1|4
日本
歴史地理学会 本来「国史地理資料(四)」が「歴史地理資料(五)」とあり 国郡郷(里)と戸数の制を知るべき記録文書|戸口を徴するにたるべき記録文書(続)|風土記に見えたる郷里の数 南都東南院所伝律書残篇にみえたる郷里の数|諸国石高一覧(天文以後)
9989. 鹿鳴閑人 々斎閑話
刊行年:1911/07|08|1912/01|02|07|08
データ:歴史地理 18-1|2|19-1|2|20-1|2
日本
歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行) 20-1には「(七則)」とあり 前九年後三年といふこと|津軽渡島はもと出羽の中|筑紫の郷数|藤原氏と秦氏との縁組|秦氏の富有|疱瘡の流行と奈良朝の政変|疫病神を西の海に流す|夷人藤原秀衡|国司上下の日数|夷人藤原秀衡
9990. 河音 能平 和泉河野家文書中の平安末期の文書
刊行年:1991/06
データ:立命館文学 521 立命館大学人文学会 安明寺文書は,『旧和泉郡黒鳥村関係古文書調査報告書』和泉市教育委員会(1995/03)に全文有 国衙領|東国御家人|開発領主|安明寺 世界史のなかの
日本
中世文書
9991. 小嶋 茂稔 「督郵」と「臨湘侯相」
刊行年:2009/03
データ:長沙呉簡研究報告 2008年度特刊 平成20年度
日本
学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(A)プロジェクト「出土資料群のデータベース化とそれを用いた中国史上の基層社会に関する多面的分析」(課題番号20242019/研究代表者:關尾 史郎)
9992. 佐々木 史郎 サンタンとスメレンクル.-19世紀の北方交易民
刊行年:2005/08
データ:『公開シンポジウム 中世総合資料学と歴史教育-北方世界の交流と変容-』資料集 札幌学院大学人文学部 記念講演 北方世界の交流と変容-中世の北東アジアと
日本
列島
9993. 喜田 貞吉 平城京の四至を論ず(一)~(七)(完結)
刊行年:1906/02-05|07-09
データ:歴史地理 8-2~5|7~9
日本
歴史地理研究会 8-7には数字無。最終回(七)(完結)とあり。8-11に補論有 奈良の地名の古今の相異|平城遷都|藤原京・平城京・平安京の制度の比較|平城京址に関する世俗の従来の見解と北浦定政の研究|関野貞君の新研究|関野君の新研究を駁す|西大寺の古境内によりて北辺坊の有無を論ず|宮城の敷地によりて北京極の位置を考定す|都城の制を論じて北京極の位置に及ぶ|東辺における平城京の拡張
9994. 喜田 貞吉 元興寺考證|同(承前完結)
刊行年:1912/01|02
データ:歴史地理 19-1|2
日本
歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行) 序言|豊浦・葛城の両寺と法興・元興両寺との関係に就きて|法興寺と元興寺との関係に就いての旧来の諸説|法興・元興両寺に関する国史の記事|元興寺の草創|法興・元興両寺と官の大寺との関係|法興・元興両寺の平城遷移と新元興寺|新元興寺の境円|本元興寺 喜田貞吉著作集5都城の研究
9995. 喜田 貞吉 東人考(一)~(三)
刊行年:1914/06|08|10
データ:歴史地理 23-6|24-2|4
日本
歴史地理学会 (三)は実は(四)と誤っている 緒言|東人といふ名|附毛人といふ名|従者または護衛の兵士等として任ぜられたる東人の先例|聖武天皇が東人を以て組織した禁衛隊とは何ぞ|太古における東国の住民と東人|東人と防人|東人と武士|東人の武勇|東人と文芸 喜田貞吉著作集9蝦夷の研究
9996. 喜田 貞吉 藤原鎌足及不比等墓所考の追考(上)(下)
刊行年:1916/02|03
データ:歴史地理 27-2|3
日本
歴史地理学会 緒言|重ねて荷前の奉幣に預りし多武峯墓が鎌足の墳墓なることを証す(上)(下)|不比等の墓が多武峯にありとの説は誤解に基づけることを論ず|重ねて不比等の墓が佐保山椎岡にあるべきことを証す|多武峯なる鎌足及不比等の墓と称するものにつきて|結論 喜田貞吉著作集3国史と仏教史
9997. 喜田 貞吉 隼人考(上)(倭人考の四)~同(下)(倭人考の六)
刊行年:1916/11|12|1917/02
データ:歴史地理 28-5|6|29-2
日本
歴史地理学会 緒言|隼人種族の起原を説明せる古伝説|隼人が異族として認められたりし事|貴紳の従者としての隼人|附 埴輪土偶の紅粉を施せること|隼人馴服の歴史|隼人の名義|令制上の隼人(隼人司の沿革 隼人の歌舞)|延喜式の隼人(隼人司の沿革 隼人狗吠の事 延喜式にみゆる隼人の風俗)|本国における隼人|近畿に移住せる隼人|余言 喜田貞吉著作集8民族史の研究
9998. 喜田 貞吉 夷神考
刊行年:1917/01
データ:歴史地理 29-1
日本
歴史地理学会 緒言|西宮夷神|附 西宮と広田社との混同に就て|西宮夷社は式内大国主西神社なる事の論|西宮夷社の祭神に関する諸種の旧説について弁ず|西宮夷神の大国主神たるべきことの論|大国主神が夷神として祭らるる理由|三郎殿は事代主神なるべきことの論|南宮は建御名方神なるべきかの論|百大夫は傀儡子の祖神にして亦夷に縁あることの論|夷神信仰の変遷|約説 喜田貞吉著作集11信仰と民俗
9999. 篠田 周之 詩歌史観
刊行年:1911/01|02|03|04
データ:歴史地理 17-1~4
日本
歴史地理学会(編輯)|三省堂書店(発行) 御民吾れ…悔犬養宿禰岡麿|道徳承天訓…大友皇子|盤白の…有間皇子|百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を…大津皇子|命駕遊山水…葛野王|御命将辞国…阿倍仲麿|わたの原八十島かけてこき出ぬと…小野篁|丞相度年幾楽思…菅原道真|こころにもあらてうきよになからへば…三条天皇|別業號伝宇治名…藤原道長
10000. 喜田 貞吉 藤原鎌足及不比等墓所考
刊行年:1915/11
データ:歴史地理 26-5
日本
歴史地理学会 26-6の本多辰次郎論文の前に「「藤原鎌足及不比等墓所考」に就て」として数行の記事有。その予言通り27-2|3にて再論 緒言|多武峰に鎌足不比等両公の墓ありとの説は信ずるにたらず|多武峰墓は不比等にして鎌足にあらずとの説はせんさく不備なり|十陵四幕の一として選定せられし多武峰墓は必ず鎌足のなるべきこと|鎌足を贈太政大臣正一位淡海公といふ事の弁|藤原不比等椎岡墓の所在|鎌足最初の墳墓とその改葬の疑問|約説 喜田貞吉著作集3国史と仏教史